鞍馬天狗からはじまって、戦争を鼓舞する紙芝居へ、そして戦後へ・・・

紙芝居の歴史(国に利用された過去)をお話ししながらの紙芝居実演。

紙芝居のおじさんは自転車に乗って登場します!ゆかいな飴売りもあり!お子さんも参加できます。

口 演:夢屋喜楽・夢屋のんき

会 場:使い捨て時代を考える会コミュカフェスペース 

参加費:会員・一般とも1000円

問合せ・申込 (要申込み)使い捨て時代を考える会
℡075-361-0222 

 

【紙芝居の歴史】ルーツは平安時代の『源氏物語絵巻』であるという説があります。また寺院では、壁画や掛け軸を使った「絵解き」がありました。 江戸時代から明治・大正にかけて、小さな穴から箱の中の絵を覗く「のぞきからくり」が縁日の見世物小屋で楽しまれました。

 1901年(明治34年)頃になると小型の舞台を担いで街頭で上演する「街頭紙芝居」が登場します。人気の題目は「西遊記」でその他は歌舞伎に題材をとったものが多く、大人向けのものも多かったのですが、1923年(大正12年)の関東大震災後は子供の娯楽として人気となりました。

 紙芝居屋は子供たちからは紙芝居のおじさんと呼ばれていました。紙芝居のおじさんは自転車に紙芝居と煎餅などの駄菓子を積んで街頭を回って、拍子木を打ったり法螺貝を吹いたりして子供を集めて駄菓子を売り、人数が集まれば紙芝居を始めたそうです。

戦時中は戦意高揚のプロパガンダとして国策紙芝居が全国で演じられました。大分県では県下小学校、全370校に「紙芝居の先生」を配置して国策紙芝居の普及に努めたそうです。

戦後はGHQがメディアの検閲を始め、紙芝居も大量処分され、検閲印の押されたものが実演許可されました。1948年(昭和23年)、文部省は紙芝居を保育教材・教具として制度的に位置づけましたが、1967年(昭和42年)文部省(当時)の「教材整備10か年計画」により「小学校教材基準」から紙芝居が外された結果、小学校から紙芝居が消えることとなりました。(出典:Wikipedia)

【国策紙芝居とは】戦時中、子供向けに作成された戦意発揚のための紙芝居を「国策紙芝居」といいます。敵国の指導者や兵士を鬼や虫に描き、日本の正統性を子供達に知らしめようとしました。題材は銃後支援、軍事援護、国民貯蓄奨励など国民精神総動員運動に沿ったものでした。1930年代後半から日本教育紙芝居協会を中心に作成され配布された国策紙芝居は当時1000種類ほど作られたそうです。

国策紙芝居が当時果たした役割・当時の戦争観や状況はどうだったのでしょう。紙芝居の上演をとおして、平和と戦争に

ついて考える機会になればと企画しました。