2013/5/25

[脱原発・自然エネルギー推進の取り組みへもどる]

使い捨て時代を考える会40周年記念連続企画第1弾
 未来は変えられる!~子供たちの未来のために~

サイレント・ウォー
~見えない放射能とたたかう~
今中哲ニトークセッション

協賛
市民環境研究所
グリーン・アクション
アジェンダ・プロジェクト
市民社会フォーラム
反原発めだかの学校

 2013年5月25日、放射能汚染・低線量被爆にどう向き合うかに関して、京大熊取原子炉実験所助教、いわゆる「熊取6人衆」の一人今中哲ニさんを呼んで、キャンパスプラザ京都で講演会を持ちました。60分の質疑応答の時間をとり、聴衆のさまざまな疑問に答えてもらいました。

今中哲ニさん講演

今中哲ニさんへの質疑応答

講演使用パワーポイント
→ 当日配布資料「実行被爆線量を計算して、危険を推定し、そして考えてみよう」(槌田劭作成)

講演要旨

 冒頭、今中氏は「無視できないレベルの放射能汚染が、特に、東京から北の本州・太平洋側にもたらされた」と語った。また、「福島の陸上汚染で、長期間にわたって問題となるのは、半減期30年のセシウム137である」と述べた。さらに、「2011年3月15日、枝野幸男官房長官(当時)が記者会見で『(福島第一原発)2号機の格納容器が損傷した』と言った時に、福島はチェルノブイリぐらいの事故になった、と確信を持った」と振り返った。

 続いて、原発事故後に頻繁に出てくるようになった、Sv(シーベルト)とBq(ベクレル)という単位の違いについて説明したほか、原子力の専門家として今中氏が考える、「1時間あたりの被曝線量に対する問題意識」について説明した。この中で今中氏は、0.1μSv(マイクロシーベルト)は「ほとんど気にしない」、1μSvでは「8時間ぐらいなら作業をする」、10μSvでは「長居をしない」、100μSvでは「せいぜい5分程度」、1000μSvでは「べらぼうな線量。逃げ出す」と表現した。その上で、自身が浴びた、時間あたりの最大被曝線量は、「チェルノブイリ原発の、石棺内部にあるポンプ室を調査した際の、約1000μSvである」とした。

 「1日あたりの被曝線量に対する問題意識」についても見解を述べた。これによると、1μSvでは「気にしない。自然放射線による外部被曝は1日で約1μSv」、10μSvでは「ちょっと浴びたなぁという感覚。胸部レントゲン検査1回で50μSv」、100μSvでは「かなり浴びたなぁという感覚。ヨーロッパへの飛行機往復で50~100μSv」、1000μSvでは「大変だ。始末書だ、という感覚」と表現した。

 急性放射線障害や晩発性放射線障害についても、その違いを説明した。これに関連し、今中氏は「枝野(官房長官・当時)さんが言っていたように、福島第一原発周辺住民の被曝は、すぐには健康に影響がないだろう」としながらも、「問題は、あとあとになって現れる晩発性障害だ」と憂慮の念を示した。また、現地で適切な初動対応を行わなかった、原子力安全・保安院の担当者について、「(彼らの思考や行動は)メルトダウン状態だった。(彼らのせいで、住民に)浴びる必要のない、無駄な被曝をさせてしまった」と厳しく批判した。

 「放射線被曝の影響は、被曝線量に比例する」との見解も述べ、がんの発生過程についても、「DNAらせん構造の2重鎖の切断が起きることが問題」などの説明を行った。チェルノブイリ事故後に、実際に発生している健康被害については、ウクライナの子どもの甲状腺がん発症数が急増しているグラフを示し、事故直後に拡散した揮発性の放射性ヨウ素や、放射性セシウムによる影響ではないか、との見解を示した。

 また、福島第一原発事故のあとに、福島県の子ども1000人を対象とした甲状腺検査が行われたことについて、「先日会ったロシアの学者に、『何で、1000人しかやらないんだ』と指摘された」と明かし、「ソ連は40万人を対象に検査を実施した。ウクライナで15万人、ベラルーシで20万人、ロシアで5万人の甲状腺チェックを行い、その後も、被曝調査などを実施している」と述べた。さらに、「日本では、事故発生直後、測定器を持って現地入りした弘前大学の専門家に対し、福島県が『人心の不安を煽るようなことをやめろ』と言って止めた」と語り、「(真実に)フタをしようとしているのではないか」と批判した。

 低線量被曝による影響については、米国科学アカデミーの「BEIR-VII報告(2005年)」を「しっかりしている」と紹介し、この報告が、発がんに対する線量・因果関係は「しきい値なし直線である」と規定していることや、「集団の平均として、1mSvの被曝によって、後にがんが発生する確率は、集団全体の1万分の1程度である」と分析していることなどを説明した。

 学者としての心構えについても語った。サイエンス(科学)を思考する上で、「確か・確かかどうかはっきりしない・あり得ない」という事柄について、「確かかどうかはっきりしない、というグレーな部分が抜け落ちてしまいがちである」とし、「本来、すべてを疑うのがサイエンスの基本である」との持論を示した。

 これに関連し、今中氏は、チェルノブイリ事故後の健康被害を扱ったドキュメンタリー映画『チェルノブイリ・ハート』について、「つまらん」と斬り捨てた。その理由として、「観た人は必ずショックを受ける内容だが、障害を持った子どもたちと、チェルノブイリ事故の放射線被曝の影響(との関連性)を具体的に示すものは何もない」と語った。さらに、「(映画に登場する)医師が、『ベラルーシで生まれる子どもの8割ぐらいは病気持ちだ、障害がある』と言うが、そんなことはないと私は思った」と述べた。その上で、チェルノブイリ事故が起きる前からベラルーシで調査がなされている、「流産した胎児の先天性障害を調べたデータ」を提示し、原発事故との関連性が、「はっきりとはわからない」とした。

 福島第一原発事故による放射性物質の拡散という現実の中、どこまでの被曝なら我慢するのかについては、「一般的な答えはない」としながらも、「年あたり1mSvが、我慢を考える際のスタートラインだ」とした上で、「子どもは感受性が強い。将来を考えると、子どもの被曝は極力少なくすべき」との見解も合わせて示した。

 特に、「子どもたちを守るために最低限すべきこと」として、「(検査のために)子どもを登録する制度をつくり、被曝量を測定する。特に、事故の後にどれぐらい被曝したのかを見積もる必要がある」と述べたほか、「定期的な健康診断の実施」や、汚染のある地域と汚染の少ない地域とを集団ごとに比較するために、「汚染の少ない地域を含めた、健康状態を追跡調査する仕組みを作る」こと、さらに、「被曝量にかかわらず、原発事故に関連する健康被害のケアを、法律で制度化する」ことが必要であるとした。

 講演の終盤、今中氏は「福島の汚染は、あくまで東京電力と日本政府が起こした不始末である」と批判した上で、「1ベクレルでも嫌だという権利が、私たちにはある。ただ、今現在のように、実際に汚染された時に、どうするか。私は、個人的には、折り合いをつけていかざるを得ないのではないかと思う」と述べ、放射能に囲まれた現実と向き合い、用心しながら生活していくという現実解を示した。

以上IWJテキストスタッフ・久保元さんのまとめを転載

質疑応答

質問 外部被ばくを年間1mSv以下に保つには、どれくらいの空間線量をめざせばいいのか。
今中
 0.1μSv/hで年間ほぼ1mSvになる。福島市内は多分、0.5~1μSv/hあると思う。みんながガラス
   バッヂを持ち、どれくらい被ばくしているか把握できることが大事だと思う。外部被ばくは思った
   より少ないのは確かだが、年1度ぐらいはホールボディカウンターを受けてチェックしておくこと
   が必要。空間線量については、私の感覚では、気にしなければならないのは0.1μSv/hを越えたくら
   いで、0.2を超えたときには何らかの対応ができないのかと考えたほうが良いと思う。例えば今なら
   道の端、溝など、容易に除染で所はすべき。飯館村の方の除染を見てきたが、かなり無駄なことを
   している。例えば10μSv/hの所を除染して半分ぐらいにしたとしても、とても人が住んでよい所で
   はない。一方、福島市内や郡山市内に行くと、1μSv/hで放置されているところが沢山ある。人が
   住んでいる高い所を優先すればそれだけ被ばく量を下げることができる。
   年間1mSvだったらいいという話を私はしているわけではない。どこまで我慢するかという、最初
   の出発点として1mSvを考えていけばいいだろうと思う。日本には年間1mSvという法律上の基準
   があり、それを国として確保できない状況では、避難したいという人には国なり東電が支援すべき
   なのは極当たり前のことだ。ガラスバッチ検査で外部被ばくを抑え、ホールボディカウンターで内
   部被ばくを抑えるのが原則。

質問 洗浄して汚染を少なくするといっても、山、川、田んぼがある日本の風景の中で不可能ではないか
今中
 除染については、飯館は放っておけと言っている。100年後、200年後どうするかでしか対応でき
   ない。森や山の除染は無理。無駄遣いだ。子どもたちを登録、健康チェック、データベース化し追
   跡調査することはそんなにお金もかからず可能だ。飯館村は人口6200人、事故前の戸数1700戸だ
   が、全員の被ばく評価をやろうと思っている。地図の中で座標を拾い出し、汚染マップからそこに
   どれくらい放射能が降り積もったかを拾い出している。あと、その人がいつ避難したが分からない
   ので、この夏、抜き取りインタビュー調査をして、汚染がどのくらいのときに避難したか調べ
   る。それを全部組み合わせることによって、ある程度の被ばく調査ができる。

質問 現在の福島第一原発の状況は?
今中
 1号機、2号機、3号機の燃料がメルトダウンした。その燃料がどこに溜まっているか分からな
   い。4号機のプールに使用済み燃料があり、地震などで倒壊し、水が漏れて干上がるのが一番の危
   険性だろう。使用済み燃料棒は発熱しており、水がなくなると冷やせなくなる。ドンドン温度が上
   がり被覆菅をやられ、揮発性の高い放射性セシウムが出て行く。使用済み燃料を取り出し、安定し
   た地面の上に置くことが最優先課題だ。今でも1時間当たり100万㏃の放射能が出ているという
   が、その発生源がよくわからない。気になったので飯館村の空気中の放射能濃度を測ったらセシウ
   ム137.134の濃度は1㎥当たり0.001㏃あった。普通、大人は1日22㎥吸入するので、0.02㏃
   となり、特に問題になる量になっていない。しかし使用済み燃料プールが壊れたら注意する必要が
   ある。あと一つは、どんどん溜まっている汚染水。海の水からストロンチウムが出ているようだか
   ら気になっている。

質問 原子力推進派の人は、カリウムも摂っているではないか。だからセシウムも安全だというが…。
今中
 それは物の考え方で、カリウムも害を及ぼしているし、その上、セシウムで余計な被ばくをさせら
   れている。カリウムは我々の体の必須元素で、大人の体の中に120gぐらいあり、その原子の1万
   個に1個、放射性元素のカリウム40がある。その半減期は13億年で、我々の体の中に1kg当たり
   50~60㏃、トータル3000~4000㏃を我々は抱え込んでいる。年間の内部被ばくは200μSvくらい
   で、避けようもない自然放射線としてある。
   自然放射能には害はないが、人工放射線は害があるという意見があるが、私はそれに組みしない。
   両方とも害がある。ただ、人工放射能には元々、自然界にない物質があり、我々はそれに適用する
   能力はほとんどない。人類なり生命が誕生した時から、カリウムからは逃げられないから、それな
   りに修復作用なども持って備えてきたと思う。体の中に入ったらカリウムは生理的に大事だから細
   胞の中に入る。血液濃度に比べて、細胞の中、特に筋肉細胞の中の濃度は高い。セシウムはカリウ
   ムとはよく似た挙動をすると思う。生物的半減期、体の中で代謝する速度はカリウムの方が早く、
   セシウムは若干遅い。ストロンチウム、プルトニウムになると、体の中で骨にたまる。セシウムは
   どこかに溜まって、そこだけを強烈に被ばくするということはなさそうなので、自然放射能と同じ
   ように、被ばく量の計算ができれば、それによる影響評価もできると思う。

質問 食品の基準値は本当に安全なのか。野菜でも洗ったら放射能は取れる、煮たらいいという情報もあ
   るが、手軽な除染法があれば教えてほしい。

今中
 ウクライナ、ベラルーシは食品ごとにかなり細かく基準値を設けているが、日本は大雑把。しか
   し、あくまで基準であって安全かどうかの基準ではない。今は、国の食品に対する規制値は1kg当
   たり100㏃だが、101なら危険で99なら安全かというとそうではない。リスクがあると判断すべき
   だろう。
   除染については、セシウムは地面の土の粒子によく付き、なかなか離れない。コンクリートなども
   落ちにくいと聞いている。セシウムはナトリウムと同じだから、体についた場合、感覚的には洗っ
   たら落ちる気がする。服についたセシウムも洗濯でとれ、下水に流れていくと思う。

質問 ストロンチウムは骨にたまる。太平洋沖の魚は大丈夫か。
今中 魚の汚染を測っている人の話では、黒潮に乗って太平洋をぐるりと回っている汚染がある。そこで
  マグロやカツオが泳いでいるが、PCB、水銀のように蓄積されないと言っていた。セシウムはカリウ
  ムと似ていて、それなりに代謝されるので海水濃度に対して、マグロならマグロの濃度は一定にな
  る。食物連鎖でどんどんたまっていくことはなく、回遊魚はそんなにたまらないと思う。福島の前の
  海で沈殿した底の汚染有機物は魚の餌になる。時々、高い濃度の魚が新聞に載ることがあるが、それ
  は底に住んでいる魚で、たぶん強い汚染が続くだろう。東北沖の魚はそれなりに注目していかなけれ
  ばならない。瀬戸内海や日本海の魚は、気にしなくていい。ストロンチウムがどれ位出たか東電はき
  ちんと発表していないが、発電所前の濃度が時々、発表され、少しずつ増えているので、ちょっとず
  つ汚染水が出ているのかと思っている。