子どもたちの未来のために
NPO法人  使い捨て時代 を 考える会

※講演依頼など問い合わせは090-6204-3993まで(担当 山田吉則)

更新 2017 .3. 28

槌田劭(つちだたかし)

1935年京都市生まれ。1958年京都大学理学部化学科卒業。1963年アメリカピッツバーク大学留学。 1967年京都大学工学部助教授。専攻は金属物理学(特にレアアース)。1973年伊方原発訴訟に住民側証人として参加。炉心担当。1978年松山地方裁判所での敗訴後、科学技術そのものの社会でのあり方に疑問を持ち、1979年京都大学を辞職。1979年京都精華大学開学時に精華大教員に(美術学部)。1973年使い捨て時代を考える会設立。1975年安全農産供給センター設立。有機農業運動及び環境運動に深く関わる。日本有機農業研究会幹事など歴任。

著書『脱原発・共生への道』(樹心社、1990)、『共生共貧 21世紀を生きる道』

  (樹心社、2003・ハングル版あり)  『地球をこわさない生き方の本』(岩波ジュニア新書、1990)

  『工業社会の崩壊』(1979、四季書房) 他多数

共著に『原発事故後の日本を生きるということ』(小出裕章・中島哲演・槌田劭、農文協、2012)

   『農の再生・人の再生 産直運動をめぐって』(飯沼二郎/槌田劭 人文書院 1983)など

編著に『化学者槌田龍太郎の意見』(化学同人、1975)など

2012年4月18日~5月5日槌田劭ハンガーストライキ

槌田劭も編集に参加した

『技術と人間』(1978年9月)

伊方原発訴訟特集号

伊方原発訴訟は日本

で唯一の本格的な原

発技術論争を法廷で

行ったものである

(以降行政はこの方向の

 裁判は避けるようになる)。

槌田は炉心担当科学者

として国側と裁判に臨んだ。

 

川那部浩哉(琵琶湖博物館前館長、京都大学名誉教授)さんがハンストに参加。
石田紀郎(市民環境研究所・元京大教授・ 京大助手時代日本初の農薬裁判をおこなう)さんが ハンストに参加。

「辛酸亦入佳境」とは、

田中正造が1907年6月、

足尾鉱毒事件での谷中村

の強制破壊を前にして書

いた言葉。そして1978

年4月25日、伊方第一原

発一号炉の設置許可取り

消しを求める裁判で、住

民側が敗訴したとき、松

山地方裁判所の玄関に掲

げられた言葉でもある。

上はその時の写真。左の

『技術と人間』冒頭写真より